人生は常に墓場
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新年度
4月ですね。
とはいっても、まだそこそこ寒いし桜は咲けど春を満喫することすら許されず、少なくとも私の心の中は常に猛吹雪が吹き荒れ、今にも精神が力尽きそうです。
とりわけ新生活が始まる訳でもなく、いつも通りの時間に起きて、いつも通りの時間に家を出る日常です。
ここ数週間はほぼ毎日定時ダッシュかますぐらいには余裕たっぷりでした。
まあそうでなくても基本定時になったら帰るんすけどね。
新鮮さも楽しさも夢も希望もクソもない人生を消費する現状を、打破する何かを追い求めることに無理やり生を見出しています。
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この世の救い
少し前、都心を歩いていると結婚式を挙げている様を目にしました。
きっと彼らの心は幸せで満ち溢れていて、挙式を行うぐらいには不安に晒されることもなく、家庭という一生の救いを手にした「人生の勝者」なんでしょう。
全くめでたいことです。
私は直属の上司ができ婚したとき、1000円程度のご祝儀すら出さなかったぐらいには、他人を幸せを喜べない歪んだ人格の持ち主です。
「なんで俺以上に稼いで幸せな人間に金渡さなきゃならねぇんだよ、むしろ逆だろ憐れんでそっちが金渡せよ」
なんて小声で呟いたら同期にドン引きされました。
真面目な話、近しい知人や「結婚式」というエンターテインメントに対してなら、3万程度のご祝儀は喜んで出すんですけどね。
後日その上司がご祝儀返しとしてお菓子配ってましたが、こっそりググったら300円程度で「700円損じゃん!」と思った刹那、ことごとく自分が嫌になりました。
私の今の救いは「食」です。
美味い飯、美味い酒、そして友人との語らい。
これらが足り得てるだけでも、幸せだと思うことにしましょう。
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心労
生きてれば色々ありますよね。
誰が特別とかなく。
男女交際・仕事・友情・金・地位・名誉、誰かにとっての救いが誰かにとっての憂いだったりするけれども、結局これらを追い求めることからは逃れられないのです。
人は例え心の底から絶望してても、どこかで希望に変わる可能性を模索するように都合よくできているのだと思います。
私は暫くこれらに板挟みになって割と疲れ果てていますが、いつか他人から妬まれ羨まれるぐらいの人種に成り上がることを夢見ています。